動物プロ|有限会社サイエンスファクトリー代表 ドラマ・映画・CM・テーマパーク 動物行動学に基づく生体監修/技術施工 動物福祉・傷病鳥獣対応 分野横断の技術協力・指導も対応 総本家たぬき村 村長(タヌキ親父) ▶︎ lit.link/tanukimura ※画像運用方針掲載

大阪府堺市
猫の一生は、人の五分の一ほど。 人が80年かけて辿る道を、 猫はわずか12〜15年でそっと通り抜けていく。 その一年は、人の 4〜6年分の速さで過ぎていく。 だからあなたの“たった1時間”は、 猫にとって 半日ぶんの移ろいになる。 あなたが外に出る3時間は、 猫には 一日分の静けさに近い。 光が傾き、影が伸び、季節の匂いが少し変わる。 それでも猫は騒がず、 ただ一度、玄関のほうへ視線を向けて “あなたの気配の欠片”を探すだけだ。 あなたの1日が終わる頃、 猫はその裏側で 数日ぶん老いている。 1週間が過ぎれば、猫の身体では ひと月ぶんの変化が進む。 昨日は軽く跳べた棚に、 今日は前足を置いたまま少し考え込んだり、 先週より日向で眠る時間が長くなったりする。 猫は何も言わないまま、 静かに老いの階段を降りていく。 あなたが気づくより早く、 身体だけが未来へ進んでしまう。 そしてあなたの“一年”。 「あっという間だったね」と言うその一年で、 猫は 4〜6年分歳を重ねる。 呼ぶ声に応えるまでの間がふっと長くなり、 撫でた指先に、骨の細さが少しだけ触れるようになる。それでも猫は、あなたの前では なるべく変わらない姿でいようとする。 静かな誇りを失わないために。 あなたにとっての15年は、人生の五分の一。 けれど猫にとっての15年は、 あなたを想いながら老いていくための全部の時間。 あなたが名前を呼んだ数秒、 そばに座った数分、 笑った一瞬でさえ、 猫の世界では何倍もの意味を持って積もっていく。 そして老いてなお… 高く跳べなくなっても、 耳が遠くなっても、 目が霞んでも、 猫は今日も、あなたの帰りを待っている。 扉の開く音、靴の擦れる気配、 あなたの匂い… それらが聞こえ、感じられるだけで、 老いた身体は今日を受け入れる。 猫の短い一生は、 その最期の瞬間まで、 静かに、深く、 あなたを想う時間で満ちている。
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鏡に向かってリアクションする、カラスのあーちゃん。自分に気づいているのか、別のカラスに話しかけているのか。つい、どちらかの答えが欲しくなります。 けれど、カラスの研究では、その二択に収まらない行動が報告されています。自分の動きと鏡の中の動きが連動することを、確かめるような振る舞いです。「こちらが動くと、向こうも動く」という関係を捉えることと、「向こうにいるのは自分だ」と認識することは別。映っている姿の正体が分からなくても、その動きについて何かを学んでいる可能性はあります。 あーちゃんが何を理解しているかは、この動画だけでは分かりません。それでも、「自分だと分かっているのか」という問いを少し変えると、その仕草をもう一度見たくなります。鏡の中の相手について、あーちゃんは何に気づいているのでしょうか。
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秋の夕暮れ、数千、数万羽のツバメが空を舞う。その光景を見ると、南へ旅立つ仲間が集まり、出発を待っているように思えます。けれど、一緒に眠る鳥たちが、一緒に旅立つとは限りません。 子育てを終えたツバメや巣立った若鳥は、川辺のヨシ原などに集団ねぐらをつくります。日没間際、上空を飛び交っていた鳥たちが次々と草むらへ降り、夜を過ごす。一方、渡りそのものは日中に、小さな群れや単独で行うようです。夕方の大群を、そのまま一つの旅の集団として見ることはできません。 集団で眠る理由には、天敵への対策や餌場の情報交換などの説がありますが、まだ十分には分かっていません。そして、そのねぐらの顔ぶれも、秋のあいだ同じではありません。成鳥が先に渡り始めるため、季節が進むほど若鳥の割合が高くなります。 空を埋める群れの中に、今年初めて巣立った鳥たちがいる。少し前まで軒下で口を開け、親が運ぶ虫を待っていた雛が、今は自分で虫を捕らえ、長い移動に備えて脂肪を蓄えています。翼の形は成鳥とよく似ていても、その翼で越えてきた距離は違う。同じ空を飛ぶ姿からは、渡りの経験までは見えません。 秋のツバメは、各地のねぐらを中継しながら進むと考えられています。十月に見かけて「まだいたんだ」と思った一羽も、この町で夏を過ごした鳥とは限りません。もっと遠くで育ち、ここまで飛んできた途中なのかもしれません。 昨日と同じ川に、今日もツバメが飛んでいる。私たちはそれを、まだ夏の名残がある景色として眺めます。けれど、見送ったつもりのない鳥がすでに去り、迎えたつもりのない鳥が来ている。ツバメがいなくなって初めて秋を感じるころには、目の前の空で、いくつもの旅が通り過ぎたあとです。
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木の枝にびっしりと集まった、数千匹ものミツバチ。これは巣を作っているのではなく、新しい住みかを探すために一時的に集まった「分蜂群」と呼ばれるものです。 ところで、この数千匹の引っ越し先を決めているのは誰だと思いますか。 群れには女王蜂がいますが、実は女王蜂が行き先を決めているわけではありません。 新居の候補地を探すのは、探索役の働き蜂たち。条件のよさそうな樹洞などを見つけると、群れに戻ってダンスで仲間に知らせます。その情報を受けた別の蜂も現地を確かめ、条件のよい場所ほど多くの支持が集まっていきます。 やがて候補地に集まる探索蜂の数が一定の水準に達すると、群れは移動の準備を始めます。誰か一匹がすべての候補地を把握し、最終決定を下しているわけではありません。 一匹一匹が知っていることは、ほんのわずか。それでも、その小さな情報を持ち寄ることで、数千匹もの群れが一つの答えにたどり着くのです。 人間社会では、集団が迷うと、優れたリーダーや強い決断力を求めがちです。しかし、ミツバチの群れを見ていると、別の可能性にも気づかされます。 本当に賢い集団とは、すべてを知っている誰かが率いる集団ではなく、誰か一人の知恵だけに頼らなくても、答えを見つけられる集団なのかもしれません。
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【Amazonほしい物リストからご支援いただいている皆様へ】 いつも動物たちのために沢山のご支援をいただき、本当にありがとうございます。毎月のようにフードや飼育用品などを送ってくださる方も多く、日々の飼育活動を支えていただいていることに心から感謝しています。 そんな皆様に、少し気がかりなお知らせとお願いがあります。 以前から、Amazonほしい物リスト上では「購入済み」と表示されているのに、実際には商品が届かないケースが何度かありました。それが先月末頃から異常な頻度で発生しており、購入済みとなっている商品の一部が、いまだに届いていない状況です。 厄介なのは、Amazonの仕組み上、受取人側では発送状況も配送履歴も確認できないこと。Amazonに問い合わせても、注文に関する情報は購入者本人にしか案内できないとのことで、こちらからは荷物の行方を調べることすらできません。 購入済みの表示が必ずしも発送済みを意味するわけではありませんが、これだけ続くと、配送の遅延だけでなく、紛失や盗難などの可能性も心配になります。 先月末以降にほしい物リストからご支援いただいた方は、お手数ですが、一度注文履歴をご確認いただけますでしょうか。特に「配達完了」となっている場合には、Amazonへ未着の可能性についてお問い合わせいただけると大変助かります。 Amazonほしい物リストは、動物たちに必要なフードや飼育用品などを公開し、どなたでも直接支援品を送ることができる仕組みです。今回初めて知ったという方にも、こうした形で飼育活動を支えていただいていることを知っていただければ嬉しく思います。 せっかくの温かいお気持ちが、どこに行ったのかも分からないままになってしまうのは、本当に残念なことです。 いつも支えてくださる皆様に、改めて感謝申し上げます。ご確認のお手間をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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畦道に咲く彼岸花を、最初に植えた人は誰なのか。 日本の彼岸花の多くは「三倍体」と呼ばれる性質を持ち、通常は種をつくることができません。主に地下の球根が分かれることで増えるため、自力で遠く離れた場所まで広がることは難しい植物です。 それなのに、田んぼの畦道にも、古い墓地にも、誰も手入れをしていないような道端にも、毎年同じ赤い花が咲いています。その背景には、かつて人間が球根を運び、各地に植えてきた歴史があると考えられています。 昔の人が彼岸花を植えたのは、必ずしも花を楽しむためではありませんでした。毒を持つ球根は、モグラやネズミから田畑を守るために植えられたとも言われています。また、飢饉の際には、毒を取り除いて食料とするための備えでもありました。 畑を守りたかった人がいたのでしょう。家族を飢えさせないために、万が一に備えた人もいたのでしょう。その人がどんな顔をしていたのか、何を思って球根を土に埋めたのか、今となっては知ることができません。 植えた人が亡くなり、その人を覚えていた家族も年老いて、やがて誰も当時のことを語らなくなる。家が建て替えられ、畑がなくなり、そこに誰が暮らしていたのかさえ分からなくなっても、地中に球根が残っていれば、秋になると彼岸花は咲きます。 最初に植えた人は、秋になるたびに自分の残した球根が花を咲かせることを、どれほど先まで想像していたでしょうか。その人にとっては、ただ暮らしを守るための仕事だったかもしれません。球根を土に埋めた日のことなど、翌年には忘れていたかもしれません。 それでも、何十年、何百年と時が流れ、花は咲き続けてきました。 今、その花を見て、きれいだと思う人がいます。毎年咲くのを楽しみにしている人がいます。遠く離れた場所から、わざわざ見に来る人もいるでしょう。植えた人は、誰かを喜ばせようとしたわけではなかったのに。 その人が生きていた頃には、今ここで花を眺めている人は、まだ生まれてさえいませんでした。どんな人生を歩み、何に喜び、何に悲しむのか、知る由もなかったはずです。それでも、かつて土に埋めた球根は、長い年月を越えて、その人の知らない誰かの秋を彩っています。 今年も畦道に、赤い花が咲いています。植えた人の名前を知る人は、もういないかもしれません。それでも、その花を見て、今日という日が少しだけ好きになる人がいるかもしれません。 自分の人生が誰かにとってどんな意味を持つのか。 その答えは、生きている間に知らなくてもいいのかもしれませんね。
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普通のペットボトルなら数秒。頑丈な硬質プラボトルでも、相手がつくしだと長くは持ちません。 うちでは、タヌキたちの給水用に、酵素ドリンク用の硬質プラボトルを海外から仕入れて使っています。単価の割にかさばるため 輸送コストが高く、結局1本350円ほど。それでも普通のペットボトルよりはるかに頑丈なので重宝しています。 ところが、このボトルとドリンクホルダーに異常な執着を見せるのが、タヌキのつくしです。 つくしのボトル潰しブームは実に気まぐれで、半年間まったく興味を示さないこともあれば、突然スイッチが入り、毎日のように破壊することもあります。 そして今朝、めでたく5日連続、5本目のボトルが犠牲になりました。 写真1枚目が新品、2枚目がつくしによる使用後です。あの頑丈なボトルがこの有様。 さて、つくしのブームが終わるのが先か、ボトルの在庫が尽きるのが先か。 できれば前者でお願いしたい(笑)
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最近、タヌキのつくしが妙に貫禄づいてきました。 それもそのはず。これまで四姉妹の体重ランキングで不動の首位だったムギを抜き去り、現在はつくしが堂々の第一位。 こうして高いところからこちらを見下ろしていると、なかなかの大物感があります。 もっとも、近づいてくると威厳はどこへやら。結局、いつものつくしなのですが😊
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以前、ドラマの撮影にタヌキを使いたいという問い合わせがあり、難しい旨をお伝えしたところ、その後は特に連絡もなく、そんな話があったことすら忘れていました。 ところが先週、何気なくフジテレビの新ドラマ『ポリティカルパン』を見ていたら、いきなりタヌキが登場してビックリ。しかも、劇中のあちこちにタヌキのキャラクターが登場するではありませんか。 もしかして、あのときの問い合わせはこのドラマだったのか? 石原さとみさんが主演だと最初に教えてくれていたら、もう少し丁寧に「難しいです」と説明したのに(笑)。 ちなみに今夜10時から第2話です。
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「レミングは、集団で崖から身を投げる」 そんな話を聞いたことがあるでしょうか。小さな動物たちが群れをなして崖へ向かい、次々と飛び降りていく。その光景を世界中の人々に信じ込ませたのが、1958年に公開されたディズニーの自然ドキュメンタリー映画『白い荒野』でした。作品はアカデミー賞を受賞し、レミングの集団自殺は、単なる言い伝えから「映像で確認された事実」へと姿を変えていきました。 ところが、その決定的な場面は、人間によって作られたものでした。 撮影はレミングの自然な大移動が起きていた場所ではなく、カナダのアルバータ州で行われました。別の地域から連れてこられたレミングを回転台に載せ、大群が移動しているように撮影し、崖から水中へ追い落としたのです。自然界の驚くべき習性として紹介された映像は、動物を人為的に崖から落として撮影したものでした。 実際のレミングは、個体数が増えると新たな生息地を求めて分散することがあります。その途中で川を泳いで渡ろうとし、溺れてしまう個体もいます。しかし、それは集団で死を選んでいるのではありません。生き延びるために移動しているのです。 生きようとしている動物たちを、人間は死にたがっている動物として世界に紹介しました。そして、多くの人がそれを信じました。 映像が残っている。だから本当だ。私たちは今でも、そんな判断をしてしまうことがあります。けれど、カメラに映っているものが、必ずしも自然に起きた出来事とは限りません。 70年近く前、人間が作り上げたレミングの物語は、誰もが簡単に映像を作り、加工し、世界中に広められる今の時代にも通じる話です。 レミングが崖から落ちる姿は本物でした。嘘だったのは、その理由です。
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ムギのエリザベスカラーですが、プラスチック製への変更は大失敗に終わったため、元々使っていた布製クッションタイプに戻し、形状をいろいろとアレンジしながら対応しています。今の形がこれまでで一番尻尾に口が届きにくく、ムギ自身も比較的落ち着いて過ごせているように思います。痒みや自咬の問題が解決したわけではありませんが、少しでも負担を減らせるよう、まだまだ試行錯誤が続きそうです。 ところで、子供たちの間で流行っていた、給水ボトルの水を抜いて床を水浸しにする遊び。以前Xで紹介したところ、なんと投稿した翌日からピタリと止まり、誰ひとりやらなくなりました。あれだけ毎日、せっせと水を抜いていたのに、いったい何があったのか。 まさか、親に隠れてスマホでも持っているのでしょうか。こっそりXを覗いて、自分たちの悪行が全国に晒されたことを知ったとでも? もちろん偶然なのでしょうが、あまりに見事なタイミングなので、つい疑いたくなります。念のため、寝床の周りにスマホが隠されていないか確認しておこうと思います。
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秋の山で鳴く鹿は、メスだけを呼んでいるわけではない。 古くから「妻恋いの声」と呼ばれてきたニホンジカの鳴き声。そのうち、遠くまで響く「ハウル」には、ほかのオスに自分の存在を知らせる働きもある。 人間には物悲しく聞こえても、聞いている鹿にとっては、競争相手の存在を知らせる声でもある。静かな秋の山に、姿の見えないオス同士の駆け引きが聞こえている。 けれど、これから寒くなり、食べ物も乏しくなるのに、なぜ秋に繁殖期を迎えるのか。 ニホンジカの妊娠期間は約220日。10月に交尾して妊娠すれば、出産は翌年の初夏になる。草木が育ち、母親が授乳に必要な栄養を得やすく、生まれた子にも冬までに育つ時間がある。 山から鹿の声が聞こえるころ、私たちはそろそろ冬支度を考える。 けれど、その秋に宿った子鹿が生まれるのは、草木の育つ初夏だ。今はまだ姿もなく、鳴き声もない。 その命が生まれる季節まで含めて、目の前の秋は成り立っている。
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一匹のミツバチが、一生をかけて生み出す蜂蜜は、小さじ12分の1ほどだと言われています。何度も花を訪れ、蜜を運び続けても、たったそれだけ。 それでも巣には、冬を越すための蜂蜜が蓄えられていきます。そこには、どの一匹が運んだ蜜なのか、誰がどれだけ働いたのかという記録もありません。 私たちの暮らしも、名前さえ知らない誰かの仕事に支えられています。毎日の食事も、安心して眠れる場所も、困ったときに差し伸べられる手も、その向こうには誰かが費やした時間があります。そして私たち自身も、知らないうちに誰かの暮らしを支える側になっています。 一週間を振り返って、自分は何を残せただろうと思う日もあるでしょう。忙しく働いたのに、目に見える成果は何もない。けれど、自分の仕事が誰の役に立ち、どこまで届いたのかを、私たちは知ることができません。 誰にも気づかれなかった一滴が、誰かの命をつなぐことだってある。
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あーちゃんの頭を撫でていると、目を閉じてじっとしています。 これだけを見れば、「気持ちよさそう」「喜んでいる」と言いたくなる。 でも、動物の気持ちを表情だけで決めることはできません。 だから、ときどき手を止めます。 すると、あーちゃんはその場を離れず、もう一度こちらへ頭を寄せてくる。 また撫でる。 また止める。 すると、また頭を寄せる。 ここで見ているのは、「気持ちよさそうな顔」ではありません。 こちらがやめたあと、本人が何を選ぶかです。 離れることもできる。何もしないこともできる。 それでも、もう一度こちらへ頭を寄せてくる。 動物の選択は、こちらが手を出したときより、 手を引いたときの方がよく見える。 動物の気持ちを完全に知ることはできなくても、選べる状況で、その動物が何を選んだのかは見ることができます。 「嫌がっていない」と、 「もう一度を自分で選ぶ」は、同じではない。
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病気になった動物は、ただ「弱って動けなくなる」だけではない。 食べる量が減る。眠る時間が増える。探索をやめる。 そして、仲間との接触まで減らすことがある。 こうした一連の変化は「sickness behavior」と呼ばれています。 一見すると、病気によって正常な行動が壊れたように見える。 けれど現在では、少なくともその一部は、身体が限られたエネルギーの使い道を変え、感染と闘うための反応だと考えられています。 病気になると、動物は「いつもの行動」をしなくなる。 動かない。食べない。遊ばない。 仲間から離れることもある。 元気なときなら異常に見える行動が、病気の身体にとっては、意味のある反応になることがある。 動物の行動は、元気なときだけを基準にすると、 ときどき意味を読み違える。
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大家さんのご厚意で、隣接するガレージスペースを好きに使って良いとのお許しを頂いたので、先日からひとりでコツコツDIYしてます。 これまで資材置き場のようになっていた場所ですが、せっかくなので少し面白いことを始めようかと。 近々、完全予約制のガレージセールとしてご案内します。うちならではの掘り出し物もいろいろ出す予定なので、お楽しみに~。
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ラットは、眠っている間に、昼間に走った道を、もう一度たどっている。 正確には、身体ではなく、脳の中で。 ラットがある場所を走ると、海馬では「場所細胞」と呼ばれる神経細胞が、いる場所に応じて次々と活動します。 そして、そのあと眠りにつくと、昼間に活動した神経細胞の並びが、睡眠中に再び現れることがあります。 「リプレイ」と呼ばれる現象です。 身体はもう走っていない。目も閉じている。 それでも脳の中では、昼間に通った場所に対応する神経活動が、もう一度現れる。 ただ、それがラットにとってどんな体験なのかは分かりません。 私たちのように夢の中で道を走っているのか、そもそも本人に「もう一度走っている」という感覚があるのか。 そこまでは、ラットに聞くことができない。 分かっているのは、眠って何もしていないように見える時間にも、脳の中では、起きていた時間の経験に対応する活動が再び現れているということです。 私たちは一日を、起きていた時間だけで数えます。 けれど、一日というものは、眠った瞬間に、すべて終わっているわけではないのかもしれません。 身体が立ち止まったあとにも、昼間に通った道の痕跡は、脳の中に現れる。 その場所を離れたあとにも、 通った道は、自分の中に残っている。
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彼岸花には、ひとつ不思議な性質があります。 花が咲いているとき、そこに葉はありません。 花が枯れたあとになって、今度は葉が地面から伸びてくる。 花と葉は、同じ球根から生まれながら、 同じ季節に並ぶことがありません。 昔の人は、そんな姿を「葉見ず花見ず」と呼びました。 花があるときには葉がなく、葉があるときには花がない。 同じ場所に生まれながら、地上では一度も出会わない。 それでも、その下ではずっと同じ球根につながっています。 そんな花が、亡くなった人を想う彼岸の頃に咲くことに、 昔の人が何かを重ねたくなったのも分かる気がします。 大切な存在を失った悲しみは、いつか相手との結びつきを手放し、 そこから離れていくことで乗り越えていくものだと考えられてきました。 けれど、悲しみの研究には、 それとは少し違う捉え方があります。 亡くなった相手との絆を持ち続けながら、 その後の人生を生きていく。 「continuing bonds(継続する絆)」と呼ばれる考え方です。 写真を見る。思い出を話す。 命日に手を合わせる。 いなくなった相手との関係が、 その日を境に、すべて消えてしまうわけではない。 悲しみがなくなったから日常へ戻るのではなく、 悲しみを抱えたまま、また日常を生きていくこともできる。 彼岸花の花が消えたあと、 同じ場所から、今度は葉が伸びてくる。 花と葉は、同じ時を生きることはない。 それでも、その下では、 ずっと同じ球根につながっている。 大切な存在を失ったあとに残るものも、 案外、そういうものなのかもしれません。 会えなくなったことと、 つながりがなくなったことは、同じではない。
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数日前、「今回は商品レビューを聞いている場合ではありません」と書いた、ムギのエリザベスカラー。 昨日、注文していたプラスチック製のカラーが届きました。 装着後に何が起きるか分からないので、何かあってもすぐ対応できる時間帯を選び、これまでの布製クッションタイプから交換。 付け替えること自体にはほとんど抵抗せず、そのまま大人しくしているように見えました。 これなら大丈夫かもしれない。 そう思った直後、首元でプラスチックがカシャッと鳴りました。 その瞬間、ムギが飛び起きました。 完全にパニックです。 壁や床にカラーを叩きつけながら走り回り、わずか数秒でカラーは折れ曲がり、数十秒後には留め具のフックまで外れて飛び散りました。 こちらもすぐに止めようとしましたが、その間に恐怖で肛門腺まで全開放。 数年ぶりに、タヌキの強烈な臭いをまともに嗅ぎました。 笑い話のようですが、それだけムギには怖かったのだと思います。 そして、カラーが外れたムギは興奮したまま、よりによって真っ先に尻尾へ。 止める間もありませんでした。 一瞬で、血の惨劇です。 ムギの尻尾を守るために選んだカラーが、ムギをパニックにさせ、その結果、守りたかった尻尾をさらに傷つけてしまいました。 プラスチック製カラー、使用時間およそ数十秒。 前回「商品レビューを聞いている場合ではありません」と書きましたが、どうやらムギは、頼んでもいないのに最速でレビューを返してくれたようです。 カラーの評価は、たぶん星ひとつ。 そして、ムギの性格を知っていながら「これなら大丈夫かもしれない」と判断した飼育者の評価は、それ以下です。 オヤジ失格です。
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グンタイアリは、仲間が残した匂いの道をたどって進む。 ところが、群れの一部が本隊から外れるなどして、 その道が偶然ひとつの輪になることがある。 「ant mill(アリの円環)」と呼ばれる現象だ。 前を進む仲間を追っていたはずなのに、 気づけば列の先頭は、同じ群れの最後尾へつながっている。 誰も間違った方向へ進もうとしているわけではない。 一匹一匹は、仲間が残した道をたどるという、 いつも通りの行動を続けているだけだ。 それでも輪が閉じてしまえば、 同じ場所を延々と回り続けることになる。 正しい行動を続けているのに、 集団としては、どこにも辿り着けない。 怖いのは、間違った方向へ進むことだけではない。 周りと同じ方向へ進んでいることで、 その方向まで正しいと思ってしまうことがある。 前にも仲間がいる。 後ろにも仲間がいる。 だから、自分は正しい道を進んでいるように見える。 けれど、列の中にいる限り、 その列がどこへ向かっているのかは見えない。 前を歩く誰かについて行けば、 必ず前へ進んでいるとは限らない。
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シマウマは、ライオンを警戒する時間が長すぎても、生きていけない。 頭を上げて周囲を見ているあいだ、草は食べられない。 反対に、頭を下げて草を食べれば、周囲を見る時間は減る。 食べることも、警戒することも、 どちらも生きるために必要になる。 だからシマウマは、捕食者の気配があれば警戒を強め、 また頭を下げて、草を食べる時間へ戻っていく。 危険を忘れたわけではない。 警戒だけを続けていても、 暮らしそのものが成り立たなくなるからだ。 食べる。休む。眠る。 そして必要なときには、また周囲を警戒する。 危険のある世界で生きるということは、 恐怖をなくすことではなく、 恐怖と日常のあいだを行き来しながら、 暮らしを続けることでもある。 人間は、ときどき立ち直ることを、 「もう怖くなくなること」だと思ってしまう。 けれど、本当に日常へ戻るというのは、 怖かったことを忘れることではないのかもしれない。 怖さが残っていても、また食べる。 また眠る。 また、いつもの場所へ戻っていく。 強さとは、恐怖を消せることではなく、 恐怖だけに暮らしのすべてを渡さないことなのかもしれない。
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