創価学会が「財務」という熟語を使っている時点で、そこに強制力や義務といった力を認知している事は明らかだ。
今から中学生にも出来る簡単な考察で、これを証明して見せよう。
問題は「務」という文字だ。
創価学会は会員の寄付活動を「財務」と呼び、組織を支える信仰上の「取り組み」として位置づけている。
そう、取り組みだ。
これは寄付を会員の務めとして意識させる作用を持ち得る。
「任意だから強制ではない」という手前味噌の説明だけでは、そうした心理的、組織的な圧力の否定には全くならない。
むしろ感度3000倍で過剰反応してる時点で、これが急所なのは丸分かりだ。
宗教的な義務感は、明文化された強制規定がなくても当然生まれる。
信仰上の使命や功徳と寄付を結びつけることで、本人が自発的に参加していると感じながら、同時に参加しないことに心理的な抵抗を感じる状況も十分有り得るし、そんな声は集めずとも集まるほど巷に溢れてる。
よって「財務」という名称に、会員の信仰上の務めという含意が伴っている事は明らかであり、教義的、心理的な観点から十分に慮れる。
むしろこの事実まで否定するのであれば、創価学会という宗教は人間の気持ちなんざ一切考慮せず、知らぬ存ぜぬ、信者が勝手にやっただけという血も涙もないゴミクズ宗教である証明になる。
・・・・まさかそんなこと言わないよね?
#創価学会
#公明党