大学教員|ICONは自画像|中国SNSフォロワー数120万人 | 代表作「にっぽん虫の眼紀行」(法蔵館・文春文庫) 「にっぽんやっぱり虫の眼で見たい」(朝日新聞出版) | 平成11年第28回神戸っ子ブルーメール文学賞受賞 | 平成29年神戸市文化奨励賞受賞|

神戸・日本
最近、大手商社に勤めている日本人の旧友と話をした。彼はこう言った。「日本で複数回の会議をしている間に、中国では試作と失敗を10回以上繰り返している」。中国企業の発想は、「完成しなくても、まず現場に出し、データを取る」というもの。一方、日本企業は事前の調整に時間をかけ、十分に磨き上げてから市場に投入しようとする。そこにあるのは、単なる技術力の差ではない。製品開発に対する哲学そのものの違いだという。 いわば、失敗を重ねながら前へ進むのか。それとも、失敗を避けるために完成度を高めてから動くのか。 この二つの論理は、かつてはそれぞれの強みを生かしていたのかもしれない。しかし、変化の速度そのものが競争力を左右する時代になった今、日本のやり方もまた、見直す時期に来ているのではないだろうか。#日中関係
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49年前の今日だ。1977年10月21日。中国全土を、一つの知らせが揺るがした。それまでに11年間、封じられていた大学入試が復活した。570万人が受験を申し込み、合格者はわずか27万3千人。合格率は4.8%。しかし、動き出したのは入試制度だけではない。時代に青春を奪われた無数の若者たちの運命が、再び動き始めたからだ。 あの日、村の拡声器に耳を傾けた若者たちも、今では70歳前後。合格した者も、涙をのんだ者もいるだろう。 それでも、10月21日と当日の「人民日報」は忘れられない。 時代は青春を奪えても、人間が希望を抱く力までは奪えない。
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嬉しい知らせが届いた。これまで、猫のクマちゃんについて、折に触れて文章を書いてきた。何気ない仕草や、ふとした表情、一緒に過ごす時間のなかで見つけた小さな出来事。書いているときは、それがいつか一冊の本になるとは、あまり考えていなかった。ところが、読んでくださった編集者の方がいて、ぜひ一冊の本にまとめたいという依頼をいただいた。 書いたものが誰かの目に留まり、そこから新しい形が生まれていく。こんなに嬉しいことはない。猫について書いてきたつもりが、振り返れば、猫と暮らす人間の時間を書いていたのかもしれない。 クマちゃんの何気ない日常が、いつか一冊の本になって、まだ会ったことのない誰かのもとへ届いていく。 そう思うと、クマちゃんが少しだけ誇らしく見えてきた。
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張愛玲の影響力は作品だけにとどまらない。英語で行われた講演の肉声を聴くと、その声そのものが実に衝撃的だった。静かで、抑制されている。けれど、その落ち着きの奥には、簡単には近づけない距離と、鋭い観察の光がある。文章で読んだときには見えなかった陰影が、声の間や響きによって、突然、現実のものとして立ち上がってきた気もする。#中国文学 #越境する文学
已故知名作家张爱玲1969年在美国的一段英文演讲原声录音,在中文互联网上热传。 zaobao.com.sg/news/china/sto…
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歴史は、過去を裁くためだけにあるのではない。自国の記憶の陰に、隣国の記憶があることを知るためにある。日中両国が、それぞれの歴史の中で何を語り、何を語り残してきたのか。その隔たりに目を凝らすとき、初めて見えてくるものがある。過去を一つの物語に閉じ込めないこと。そして、自らの記憶だけを歴史のすべてと思わないこと。 歴史と向き合うということは、過去を忘れないこと以上に、他者の記憶によって、自らの歴史観を問い直し続けることなのかもしれない。#日中関係
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今日、博士課程の日本人学生から資料が届いた。彼は、現代中国文学が日本の読者市場をどのように流通し、受け止められてきたのかを研究している。その資料の中に、27年前の報道記事があった。ノーベル文学賞作家・莫言が初めて日本を訪れたときの舞台裏を伝える記事だった。 27年という歳月に、ふと感慨を覚えた。当時、この学生はまだこの世に生まれていなかった。その彼が今、現代中国文学が国境を越えていく過程を研究している。かつて誰かが書き残した記録が、時を経て、まだ生まれてもいなかった若い世代の研究へとつながっていく。 文学が国境を越えるとは、作品が翻訳されることだけではない。時間をも越えて、誰かの関心を呼び起こし、新しい問いを生み出していくことなのかもしれない。 この若い日本人研究者が、これから何を見つけ、どんな言葉で語ってくれるのか。とても楽しみにしている。#日中関係
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中国人留学生と話していて、意外に思った。毛沢東の「抗日遊撃戦争論」を読んでいるという。彼らの世代にとって、毛沢東は歴史上の人物だ。ただ、その著作を中国語でどれほど読み込んでいるのかよくわからないが、それでも、日本語で読むと、中国語の原文とは一味も二味も違うという。 中国語では簡潔に響く言葉が、日本語では説明的になったり、逆に日本語の漢字表現が、原文にはない硬質さや思想性を帯びたりする。翻訳は単に意味を移すだけではなく、言葉の響きや概念の輪郭まで変えてしまうのかもしれない。 毛沢東の遊撃戦争論を、若い留学生が日本語で読み、その違いを感じ取っている。時代の隔たりに加えて、言語の隔たりまである。なんとも妙な話である。#日中関係
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国力の衰えとは、ある日突然起こるものではない。昨日までの成功を手放せないまま、気づけば、世界のほうが先へ進んでいた。その時間の重さこそ、いま日本が直視すべきものなのかもしれない。
なぜ日本はこんなに急激に国力を失ったのかと言うのが昨日のオンライン講演の主題でした。組織のかたちもそこで働く人間もほとんど変わらないのにわずか15年でGDP世界2位から6位にまで転落するというのは「よほどのこと」がないと起こらない事件です。
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ありとあらゆるものが安く、速く、無限に作れる世界の最後に、われわれが高いお金を払うのは、もしかしたら「人間がそこにいた」という証拠なのかもしれない。
ネット上がAI生成のテキトーな文章や画像で溢れかえった結果、世界中で面白いバグが起きてる。 ダヴ(Dove)みたいな大手ブランドが「うちは絶対に広告にAIを使いません。100%人間で作ります」って宣言し始めた。 昔は「AIで効率化!」が最先端だったのに、今や「100%人間が作りました(Made by Humans)」が最高の高級ブランド戦略になってるの面白すぎるだろ。
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書店が減っていく理由を、活字離れやスマホの普及だけで語ってしまっていいのか。ネット書店は、求める一冊を、迷いなく手元へ届けてくれる。けれど、街の本屋には、目的地へ向かう途中でふと足を止め、探していたわけではない本に心をつかまれる瞬間がある。 例えば、夕暮れの書店で、棚と棚のあいだをゆっくり歩く。紙の匂いと、ページをめくるかすかな音。背表紙の文字を目で追っていると、見知らぬ題名が不意にこちらへ語りかけてくる。手に取ってみれば、長いあいだ忘れていた問いや、まだ言葉にならなかった思いが、そこに静かに息づいている。本屋の魅力は、検索ではなく、寄り道にある。 書店が減るということは、人生を変える一冊との思いがけない出会いが減っていくことなのかもしれない。何かを急いで手に入れるのではなく、偶然に身をゆだねる時間。その余白まで失われてしまうのは、やはり寂しい。#読書好きさんと繋がりたい
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たまたま通りかかって立ち寄った、大阪ステーションシティ「時空の広場」で開催された「読の市」。これまでさまざまなイベントを見てきた会場だが、本を主役にした催しは今回が初めてだった。 トークショーの登壇者は、作家ではなく、本を紹介するインフルエンサーたち。個々の作品を語るだけでなく、読書市場全体の動きや、本と読者をつなぐ新しい回路が見えてきたのが面白かった。 会場は多くの来場者で賑わい、熱気に包まれていた。一方で、人の多さもあってか、登壇者の声が少し聞き取りづらい場面も。言葉を味わう場だからこそ、語り手の声が隅々まで届く環境も大切なのだと感じた。#読の市
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トークショーを聞きながら、これからの読書と本屋のあり方について考えた。本を選び、レジで支払い、店を出る。その間に、もう一つ何かを加えられないだろうか。人が集い、語り合い、本と出会う文化的な空間としての本屋。実は中国でも、公園に露店の書店が集まり、市場のようなイベントとして成功した事例がある。 本を売るだけでなく、読書そのものを楽しめる場をつくっていること。北京の「南森書市」では、森林公園に100以上のブースが並び、書店や雑貨、伝統工芸、飲食が共存。古本を野菜と交換する企画まである。自然の中で本を探し、体験し、人と出会う。 本を売る場所から、本をめぐる体験が生まれる場所へ。日中共通の、興味深い変化だと思う。#いか文庫 #chapters書店
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四〇年前、日本の友人が中国留学を志した理由を尋ねると、中国の長い歴史や豊かな文化に惹かれたからだと答えた。あの頃、中国は若者にとって、遠い大陸に広がる大きな物語だった。 ところが今、同じ質問を若い学生たちにすると、女子学生は中国の旗袍(qípáo/チーパオ)に興味があると言い、男子学生は街を走る三輪車を見てみたいと言う。そんな小さな好奇心が、中国語を学び、海を渡るきっかけになっている。 大きな歴史から、身近な日常へ。壮大な文化への憧れから、目の前の暮らしへの関心へ。 中国への扉が小さくなったのではない。扉の取っ手が、少し身近な場所に移ったのだろう。時代が変われば、異国への憧れの形も変わる。けれど、誰かの小さな好奇心が、いつか大きな理解へと育つ可能性は、今も変わらない。#日中関係 #日中友好
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毛研究室に入ると、まず本が目に入る。背表紙を眺めているだけで、そこに流れた時間や、誰かが費やした思考の跡が伝わってくる。 最近、AIの需要によって大量の書籍が買い集められ、データを取り出すために裁断されるというニュースを目にした。本は、知識を蓄えた媒体から、アルゴリズムを動かすための素材へと姿を変えつつある。紙の本は、これからどこへ向かうのだろう。 けれど、本には温もりがある。ページをめくる指先の感触も、書き手の時間が染み込んだ紙の匂いも、データに置き換えられない何かを宿している。 毛研究室の本棚を眺めるたびに思う。本は情報を運ぶためだけに存在するのではない。人間が考え、迷い、生きた時間を、静かにそこに留めているのだ。便利さがどれほど進んでも、その温もりまで裁断されてしまわないことを願う。
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