1986年。
フライデー襲撃事件でビートたけしが逮捕された。
母・さきは報道陣に言い放った。
「あんなどうしようもないのは、
死刑にでもしてください」
息子をかばうどころか、
突き放した。
1994年。
たけしがバイク事故を起こした。
顔面に大怪我を負い、
生死の境をさまよった。
そんな息子に母が放った言葉は、
「死んでりゃよかった」
売れっ子になってからも変わらない。
母の日に花を持っていけば、
「花なんかいらない。金をよこせ」
たけしが稼ぐようになると、
何かにつけて金を要求した。
息子が逮捕されても突き放す。
死にかけても容赦しない。
成功すれば金を要求する。
少なくとも、
表から見えるさきは、
そんな母親だった。
1999年。
95歳になったさきは入院していた。
たけしが見舞いに行っても、
相変わらずだった。
病床でも金の話をする。
弱っても、この母親は変わらない。
やがて、たけしが帰ろうとした。
その時だった。
母の目から涙がこぼれた。
「ターチ……」
世界のキタノと呼ばれるようになった息子を、
子供の頃の呼び名で呼んだ。
「また来るから」
たけしがそう言うと、
さきはすぐにいつもの調子に戻った。
「今度来る時は、名前が変わってるよ」
葬式では焼香だけして帰ればいい。
最後まで憎まれ口だった。
病院を出ると、
姉が追いかけてきた。
「母ちゃんから預かってる」
小さな包みを渡された。
帰り道、
たけしが包みを開けた。
中に入っていたのは、
北野武名義の郵便貯金通帳だった。
記録は1976年から続いていた。
二十数年間。
残高は約1000万円。
母が、
「金をよこせ」
と言って息子から受け取ってきた金だった。
その金には、
全く手をつけていなかったという。
それどころか、
自分の年金からも金を足していた。
芸人なんて、
いつ仕事がなくなるかわからない。
武は金があれば使ってしまう。
そう考えた母が、
息子のために残していた金だった。
最後の入金は、見舞いのわずか1か月前だったという。
そして、もう一つ。
あのバイク事故。
「死んでりゃよかった」
そう言い放った母は、
誰にも言わず寒川神社まで出向き、
息子が助かるよう祈っていた。
1999年8月。
北野さき、95歳で死去。
たけしは葬儀でも、
いつものように笑いを取ろうとしていた。
記者会見でも、
芸人らしく笑わせるつもりだった。
ところが、
母親のことを聞かれると、
言葉に詰まった。
そして、顔を覆って泣いた。
「あんなどうしようもないのは、
死刑にでもしてください」
「死んでりゃよかった」
「花なんかいらない。金をよこせ」
最後まで、
優しいことを言う母親ではなかった。
たけしもまた、
素直に優しいことを言う男ではなかった。
あの毒舌も、
母親譲りだったのかもしれない。
よく似た親子だった。
母を亡くしたたけしは言った。
「お袋が死んでも、背中に乗っかっているような気がする」
「頑張って、いい仕事をしようと思う」
毒舌とユーモアで、
どんなことでもネタにしてきたビートたけし。
そんな男が、
母を亡くした時だけは、
冗談を一切言わなかった。
母ちゃんの死だけは、
笑いにできなかったのだ。