長文駄文ですがひとつずつ反論します。尚、私の結論は「だからBだけが正解」ではなく「だからBだけを正解とすべき」です。
* 辞書に「後続」という別義が存在すること
→勘違い。別義ではなく同義の別表現です。
問題文を指示文として分解すると、
Cの|次に|重い
基準点|後続(下位・次位)指定|順序方向・比較尺度
と分解できます。この時に注意すべきは、「次」の解釈が方向を決めている訳ではないこと。「次」でも「次に」でも意味は変わらないし、後続も下位も次位も指定位置は変わらない。方向は「重い」が「重い方から」と一意に定めています。これは「富士山の次に高い」が「高い方から」と一意に定まることと同じ。
* 「Xの次に大きい」がXより大きい方向を指す人事院の用例
→誤用。直感でDを選ぶのが人間です。
* 数学・研究分野での同様の用法
→誤用。人間は間違えます。
* 「それより次に重い」が重い方向を指す国会会議録
→誤用。人間は間違えます。
* 「次に大きい/次に小さい」がそれぞれ尺度方向を示す実例
→誤用。人間は間違えます。
→これらについて補足。
用例があることはそれが正しいことを表さない。語義は変わりゆくものという人もいるが、それならばD型の用例がせめて1割程度を超えている統計と、それらが誤用でなかったこと(もし誤用を指摘されても覆さない強い信念)を本人に確認しなければ証拠として弱い。
これは主観ですが、D型用例の割合はせいぜい1%程度(それも大多数が誤用)と思っています。
* 多くの母語話者が現実にその意味を自然に理解していること
→「1の次に大きいのは2」と書いてあれば、B派は「誤用してるな」と思いながらそれに従います。日常会話で見られる直感的な誤用は、指摘する必要も、もっと言えば誤用と気づく必要もない。日常会話では語義の厳密さなどは二の次で、コミュニケーションが成立すればなんでもいい。ただし誤用によって逆の指示と解釈される可能性はある。
また、コミュニケーションとしての正解は語義としての正解を表さない。
* 同型表現について国語辞典編纂者自身が意味の変化・併存を指摘していること
→B派とD派の勢力図により、また編纂者もB派である。
最低限の反論を終えたので、以下が自論です。
・「どちらも正しい」という結論は語義の曖昧さを助長する。
仮に将来的にB派とD派が拮抗する未来が来たとする。
それは、「~の次に○○」という文章が何も決められなくなるということを表します。
D派「あなたの次に偉い人呼んでくれる?」
B派「では、部下を呼んで参ります」
D派「いやあなたより偉い人を呼びなさいよ!」
こんなことになって、コミュニケーションコストが爆増します。
どちらも正解とする場合、これを分解すると
あなたの|次に|偉い
基準点|後続(次位)指定|比較尺度(順序は決めない)
となり、別で順序を指定する手間が発生します。
D派「あなたじゃ力不足だから(暗に順序を指定)あなたの次に偉い人呼んで」
B派「では、(力不足順で次に位置する)上司を呼んで参ります」
ここまで言って初めてB派とD派の円滑な会話が成立します。
「~の次に○○」という、短文で対象を一意に指定できる便利な構文はD派が増えたことで死んでしまいました…。
・数学では逆になる→そんなことない
割合は調べていませんが、これを正しくB型で使う用例は数学分野で普通に存在します。
むしろ数学という厳密さを重視する分野で、文献によってどちらの用例も存在する現状。あまつさえ一般的な解釈とは逆のD型を数学書の定義に使う始末。これは誤用した数学者は大いに反省すべきです。
・私のChatGPTが、B型をD型と誤認した。
十分に議論を重ねた私のChatGPTにインターネット上の文献をB派とD派に分ける指示をしようとした際、その予備検索で出た数学のB型事例を、ChatGPTが直感でD型に分類しました(その後に訂正)。
これは、現行AI程度の思考能力を有していても直感でD型を誤用してしまう→D派が証拠として出す用例がこれに当たる可能性を示唆します。
結論として、
「Bだけが正解とする根拠はないが、同様にDも正解とする根拠もない。」
「Dも正解とすることは不都合しか産まない。」
「コミュニケーション上は伝わればなんでもいいが、D派を駆逐した方が伝わりやすい」
と主張します。