『近藤伊助とはお前か』
昭和19年11月頃のQ基地。回天搭乗員「近藤伊助」二飛曹(甲飛13期・三重空奈良分遣隊)に声を掛けたのは分隊士「中島健太郎」中尉(海兵72期)。
近藤二飛曹は著書に『分隊士に声を掛けらるれるようなことも心当たりがなく、何事かなと不思議に思った。』と書いている。
この後に両者の交流はなく、中島中尉は昭和20年1月15日に回天の同乗訓練で殉職する。
何故声を掛けたのかを調べると「水野伝三郎」少佐(海兵59期)が関係していると思われた。
水野少佐は昭和17年6月より「海軍兵学校分隊監事」を務めており、海兵72期の一学年、二学年で確認できる。
海兵72期の中島中尉とはこの頃に面識があったのだろう。
水野少佐はその後に「三重空奈良分遣隊」に異動し教育隊第一部長となる。甲飛13期の近藤二飛曹は第十二分隊。水野少佐はその第十二分隊の二階に居住区があり、そこから本部へ出勤していた。
昭和19年8月頃『〇兵器搭乗員』(回天のこと)の募集が行われる。近藤二飛曹は熱望の「◎」を出して志願、後に選抜される。
昭和19年9月1日、中島少尉『補第一特別基地隊附』。
同日、近藤飛行兵長『第一特別基地隊附ヲ命ズ』。
おそらく水野少佐は第一特別基地隊に中島中尉がいることを知っており、居住区の近い近藤二飛曹について何か伝えていたのだろう。それが中島中尉の『近藤伊助とはお前か』という声掛けに繋がったと思われる。
『近藤伊助とはお前か』
一次史料に残らない些細な一言。その一言から見えてくる縦の繋がり。今後も回天搭乗員の繋がりについて調べていきたい。
『分隊士中島健太郎中尉(海兵七十二期)に或る日、課業が終わって居住区に帰ろうとした所、「近藤伊助とはお前か」と突然声をかけられた。何事かと思いながら、「ハイ」と答え、そのまま別れたが、分隊士に声を掛けらるれるようなことも心当たりがなく、何事かなと不思議に思った。中島中尉は二十年一月四日(※)、大津島基地で訓練中残念ながら殉職された』
近藤伊助『回天特攻 一搭乗員の軌跡』(自費出版,平成四年,p71) ※誤り。履歴原簿の殉職日は昭和20年1月15日。
Sep 25, 2026 · 9:00 AM UTC
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