『#岡村清三氏の軍歴・証言・講演叢書から18歳の回天特攻隊員の遺書を考察する 』→2020年8月11日産経新聞掲載is.gd/FOsGHl。記者による書籍化→is.gd/pB9m14 『#漫画家やなせたかし氏の証言や書籍から弟・第三期兵科予備学生柳瀬千尋中尉の軍歴を考察する』回天・特型格納筒

#漫画家やなせたかし氏の証言や書籍から弟・第三期兵科予備学生柳瀬千尋中尉の軍歴を考察する(1/5)漫画家やなせたかし氏の弟・柳瀬千尋氏は特攻隊の回天搭乗員や甲標的(特殊潜航艇)艇長ではありません。やなせ氏の死去から10年、まだ訂正できる段階だからこそ史実が認知されることを強く願っています
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『近藤伊助とはお前か』 昭和19年11月頃のQ基地。回天搭乗員「近藤伊助」二飛曹(甲飛13期・三重空奈良分遣隊)に声を掛けたのは分隊士「中島健太郎」中尉(海兵72期)。 近藤二飛曹は著書に『分隊士に声を掛けらるれるようなことも心当たりがなく、何事かなと不思議に思った。』と書いている。 この後に両者の交流はなく、中島中尉は昭和20年1月15日に回天の同乗訓練で殉職する。 何故声を掛けたのかを調べると「水野伝三郎」少佐(海兵59期)が関係していると思われた。 水野少佐は昭和17年6月より「海軍兵学校分隊監事」を務めており、海兵72期の一学年、二学年で確認できる。 海兵72期の中島中尉とはこの頃に面識があったのだろう。 水野少佐はその後に「三重空奈良分遣隊」に異動し教育隊第一部長となる。甲飛13期の近藤二飛曹は第十二分隊。水野少佐はその第十二分隊の二階に居住区があり、そこから本部へ出勤していた。 昭和19年8月頃『〇兵器搭乗員』(回天のこと)の募集が行われる。近藤二飛曹は熱望の「◎」を出して志願、後に選抜される。 昭和19年9月1日、中島少尉『補第一特別基地隊附』。 同日、近藤飛行兵長『第一特別基地隊附ヲ命ズ』。 おそらく水野少佐は第一特別基地隊に中島中尉がいることを知っており、居住区の近い近藤二飛曹について何か伝えていたのだろう。それが中島中尉の『近藤伊助とはお前か』という声掛けに繋がったと思われる。 『近藤伊助とはお前か』 一次史料に残らない些細な一言。その一言から見えてくる縦の繋がり。今後も回天搭乗員の繋がりについて調べていきたい。 『分隊士中島健太郎中尉(海兵七十二期)に或る日、課業が終わって居住区に帰ろうとした所、「近藤伊助とはお前か」と突然声をかけられた。何事かと思いながら、「ハイ」と答え、そのまま別れたが、分隊士に声を掛けらるれるようなことも心当たりがなく、何事かなと不思議に思った。中島中尉は二十年一月四日(※)、大津島基地で訓練中残念ながら殉職された』 近藤伊助『回天特攻 一搭乗員の軌跡』(自費出版,平成四年,p71) ※誤り。履歴原簿の殉職日は昭和20年1月15日。
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呉海軍墓地合同追悼式 お見掛けした方の姿がない いつも慰霊碑いっぱいにお供えをしていらした 呉竹慰霊碑の前で 思いをはせる
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本日NHKのネット記事で『18歳の回天特攻隊員の遺書』について取り上げて頂きました。 第四期兵科予備学生「岡村清三」氏が創作した『18歳の回天特攻隊員の遺書』は全国回天会に事実ではないと断言され掲載書籍は『抹消要望』されました。 5年前に産経新聞が掲載し、手拭い、缶詰、講演叢書、DVD等の関連商品は全て販売中止になりました。 しかしネットやSNS上では今も本物の遺書のように拡散され続けています。 『18歳回天特攻隊員の遺書』は本物の遺書でも回天戦没搭乗員106名の遺書でもありません。岡村清三氏による創作遺書がこれ以上史実と誤認されないことを強く願っています。 『戦争に対する主張や批判は、すべて史実に基づいて行われるべきです。(遺書とされるものは)回天搭乗員の方が本物ではないと断言しているものです。拡散すると、当時の人たちの思いを踏みにじってしまうことになるので、やめてほしいと強く思っています』 nhk.or.jp/news/html/20250830… あふれる特攻隊YouTube動画 AIで写真が…“創作遺書”の疑いも 2025年8月30日 16時07分
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岡村清三氏による創作遺書『18歳の回天特攻隊員の遺書』に対する実際の回天搭乗員の反応。岡村氏と同期の第四期兵科予備学生の方々も反応している。 全国回天会は創作遺書を掲載した皇学館大学へ『抹消要望』を行った。海軍兵科第四期予備学生会もこの件で動いたのではないか。 反応コメントは無いものの皇学館大学からの謝罪文を読む限り、抗議文を書いた甲飛十三期と海兵七十二期の方々の激怒は凄まじいものだったと思われる。 海兵七十四期(光)『驚きました』 第四期兵科予備学生(大神)『岡村氏の話、面白く拝見、考え方も生き方も変化があって楽しいのでしょう。大神は別府湾奥で、四期にはそんな人はいないし、何処の隊でしょう』 第四期兵科予備学生(光)『皇学館大への記事は目を疑った。極めて残念に思う』 甲飛十三期(平生)『搭乗十数回ですが四キロ痩せたり垂れ流しは一人も居ない。何のためにした話なんだろう』 第四期兵科予備学生(光)『皇学館大で岡村氏何の為の虚言と軽率発言、同期として腹立たしく思いました』
本日NHKのネット記事で『18歳の回天特攻隊員の遺書』について取り上げて頂きました。 第四期兵科予備学生「岡村清三」氏が創作した『18歳の回天特攻隊員の遺書』は全国回天会に事実ではないと断言され掲載書籍は『抹消要望』されました。 5年前に産経新聞が掲載し、手拭い、缶詰、講演叢書、DVD等の関連商品は全て販売中止になりました。 しかしネットやSNS上では今も本物の遺書のように拡散され続けています。 『18歳回天特攻隊員の遺書』は本物の遺書でも回天戦没搭乗員106名の遺書でもありません。岡村清三氏による創作遺書がこれ以上史実と誤認されないことを強く願っています。 『戦争に対する主張や批判は、すべて史実に基づいて行われるべきです。(遺書とされるものは)回天搭乗員の方が本物ではないと断言しているものです。拡散すると、当時の人たちの思いを踏みにじってしまうことになるので、やめてほしいと強く思っています』 nhk.or.jp/news/html/20250830… あふれる特攻隊YouTube動画 AIで写真が…“創作遺書”の疑いも 2025年8月30日 16時07分
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Replying to @tsuna780 @tiger3kai
その時、おれも将来教育参考館館長となり特攻の悲惨を伝えたいと思った。 月日が経ち気づけば教育参考館長の上司(2佐)になっていた。ある調査の途中で彼を調べたところ彼は回天要員じゃなかった・・・
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Replying to @tsuna780 @tiger3kai
潜水艦教育訓練隊学生(階級は当時2士)の時、元海軍予備中尉で潜水艦搭載回天で出撃する寸前で攻撃中止になった元海自教育参考館館長の岡村清三の講話を聴いた。「今の若い者は理解できんだろうが皆志願したんだ!」当時は凄い感動した。
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『優秀な弟・千尋さんが人間魚雷「回天」の関連任務で22歳で戦死』とありますが誤りです。 やなせたかし氏の弟、第三期兵科予備学生「柳瀬千尋」中尉は回天搭乗員を含む特攻隊員ではありません。柳瀬中尉の軍歴において回天は無関係です。 また柳瀬千尋中尉は特攻隊に志願していません。 柳瀬千尋中尉は対潜学校卒業後、駆逐艦「呉竹」での戦死です。 柳瀬千尋中尉は今も駆逐艦『呉竹』戦没者名に刻まれています。回天戦没搭乗員106名の碑にお名前はありません。 赴任中の輸送船撃沈含む特攻隊云々は一次史料に一切根拠の無いやなせたかし氏の誤認です。 『優秀な弟・千尋さんが人間魚雷「回天」の関連任務で22歳で戦死』という、やなせたかし氏の誤認やネット等の誤情報を拡散することなく、駆逐艦「呉竹」戦没者を含めた史実が定着するよう願っています。
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RT @dousitu: #漫画家やなせたかし氏の証言や書籍から弟・第三期兵科予備学生柳瀬千尋中尉の軍歴を考察する(1/5)漫画家やなせたかし氏の弟・柳瀬千尋氏は特攻隊の回天搭乗員や甲標的(特殊潜航艇)艇長ではありません。やなせ氏の死去から10年、まだ訂正できる段階だからこそ史…
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#呉海軍墓地合同追悼式 #高知 #やなせたかし #あんぱん やなせたかしさんの弟。柳瀬千尋さんも、ここ長迫公園の海軍墓地。駆逐艦「呉竹(くれたけ)」の戦歿者名簿にあります。
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当該世代と違うのもあるだろうが、自分と同世代の記者の方々からはきちんと返却して頂いている。彼らと「話が合う」のは大きいと思う。SNSの発達でメディア云々と言われるだけでなく「史実と異なる記事がある」のも事実。ただ「良い記事(良い番組)にしましょう」と自身の足で稼ぐ記者もまだまだおられる。どうか彼らの記事(番組)がその手のモノと同類扱いされないよう強く願う。
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現代では各企業のコンプライアンスも向上したためこういうことは起こりえないでしょう、と思いたい。 私が連絡をとった操練出身の搭乗員のご子息様は、父が烈風の試験飛行を実施した記録を某出版社貸したけれど返してもらえずずっと嘆いていた、と怒気を含んで仰られていました。
Replying to @koudachinaoki
しかし碇義朗氏、せめて当事者から借りまくった写真を返してから亡くなるのが筋じゃなかったんですかねぇ。ヘンリー境田氏もそうですが。旧世代の戦記を書いてた作家はそのへんメチャクチャルーズだったものな。ある著名な方に貸したアルバムが返ってこないと相談を受けて私から返却を促したこともある。ある出版社の資料庫には借りパクの写真が束になってあったり。 反面、渡辺洋二さんから返却された写真を封筒のまま見たことがあるけど、丁寧な直筆の礼状を添えて、流石だなぁ、と思った。見習うべき姿勢。
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第三期兵科予備学生「上山春平」中尉の訓練事故について。 昭和19年12月30日午後3時30分、光基地において「操縦:坪根昌己少尉(海機54期)、同乗:上山春平中尉」の訓練用回天が発進。尾島まわりの訓練に出るが追従する魚雷艇が故障。訓練用回天も目標の島を間違えて燃料が尽きる。翌31日午前3時頃に漁船が浮上漂流中の訓練用回天を発見して通報。岡山至少尉(海兵54期)指揮の救助艇により両名とも救助。脱出した際に訓練用回天は沈没。第一特別基地隊参謀「板倉光馬」少佐(海兵61期)より『兵器を沈めて自分たちが助かるとは何事か』と叱責。 この事故は画像添付の文献等に記載されている。文末に文献情報と該当頁を記載する。 事故については上山中尉本人だけなく、第四期兵科予備学生の「和田稔」中尉、「武田五郎」中尉、「神津直次」中尉ら回天搭乗員の文献にも記載されている。 当時の上山中尉は第六期士官講習員。和田少尉、武田少尉、神津少尉ら第八期士官講習員の指導官であった。 改めて引用先にある『上山は回天魚雷の特攻隊出撃、魚雷故障で漂流中、漁船に救助、九死に一生を得た。』について確認したい。 上記の文章は訓練事故と実戦を混同した明らかな誤りである。 ・昭和19年12月30日「操縦:坪根昌己少尉(海機54期)、同乗:上山中尉」の訓練事故。 ・昭和20年5月28日「轟隊伊363潜」、回天先任搭乗員としての出撃。 ・昭和20年8月8日「多聞隊伊363潜」、回天先任搭乗員としての出撃。 詳細も当事者らの記載と異なっている。上山中尉本人が『目標の島をまちがえて、とんでもない方向に走って燃料を使い果たしてしまった』と書くように航法失敗による燃料切れであって『魚雷故障』ではない。そもそも操縦は坪根昌己少尉(海機54期)で上山中尉は同乗である。『漁船に救助』についても漁船は通報であって救助自体は岡山至少尉(海兵54期)指揮の救助艇が行なっている。 繰り返すが実戦において回天発進後に救助された回天搭乗員は一人もいない。総員戦死である。上山中尉当人の著書や「行動日誌」に実戦における自身の回天発進の記録はない。実戦で回天が故障し漁船に救助された云々もない。 このような訓練と実戦を混同した明らかな誤りが拡散されることなく、回天の史実が定着するよう強く願っています。 ・上山春平『上山春平著作集 第三巻 革命と戦争』(株式会社法藏館,1995年,p550~551)。※著書の『山岡至少尉』は誤り『岡山至少尉』が正しい。 ・上山春平『上山春平著作集 第十巻 日本文明史序説』(株式会社法藏館,1995年,p622)。 ・神津直次『人間魚雷回天』((株)朝日ソノラマ,1995年,p86~89) ・武田五郎『回天特攻学徒隊員の記録 止むにやまれず破った五十年の沈黙』(株式会社光文社,1997年,p123~124)。 ・和田稔『わたつみのこえ消えることなく‐回天特攻隊員の手記‐』(株式会社角川書店,1972年,p265)
第三期兵科予備学生『上山春平』中尉の出撃記録について。 上山中尉は轟隊伊363潜、多聞隊伊363潜で出撃しているが共に回天発進はなく帰投している。また同隊共に回天の発進はなく回天搭乗員の戦死者はいない。 『上山は回天魚雷の特攻隊出撃、魚雷故障で漂流中、漁船に救助、九死に一生を得た。』との投稿がある。 これは上山中尉が出撃した「轟隊伊363潜、多聞隊伊363潜の実戦」と「基地での訓練」を混同している。 回天作戦で出撃した回天搭乗員は延べ148名。出撃後の回天発進後に救助された回天搭乗員は1人もいない。 以下『昭和二十年八月二十日 人間魚雷回天出撃記録』(山口県文書館・毛利勝郎収集史料4)より上山中尉に関する記載を抜粋する。 轟隊伊号第三六三潜水艦(p23) 出撃年月日:昭和二十年五月二十八日 帰投年月日:昭和二十年六月二十八日 回天搭乗員:上山春平中尉(京大文)、和田稔少尉(東大法)、小林重幸一飛曹(東機技養※機は京の誤字と思われる)、石橋輝好一飛曹(錦城中)、久保吉輝一飛曹(市岡中) 戦果:〇〇敵ヲ発見発進用意ヲ行ヒタルモ遂ニ機ヲ得ズ帰投ス 多聞隊伊号第三六三潜水艦(p31) 出撃年月日:昭和二十年八月八日 帰投年月日:昭和二十年八月十八日 回天搭乗員:上山春平中尉(京大文)、園田一郎少尉(東大法)、石橋輝好一飛曹(錦城中)、久保吉輝一飛曹(市岡中)、小林重幸一飛曹(東京技術養) 戦果:沖縄東方海面作戦中日本海ニ配備ヲ変更セラレ回航中敵機ノ機銃掃射ヲ受ケ損傷帰投 改めて『上山は回天魚雷の特攻隊出撃、魚雷故障で漂流中、漁船に救助、九死に一生を得た。』の投稿ついて記載する。 上記の文章は「轟隊伊363潜、多聞隊伊363潜の実戦」と「基地での訓練」を混同している。 轟隊伊363潜、多聞隊伊363潜で発進した回天はない。両部隊共に戦死した回天搭乗員もいない。実戦において上山中尉の回天は発進せず伊363潜で帰投している。 このような実戦と訓練を混同した投稿が拡散されることなく、回天の史実が定着するよう強く願っております。
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今日は妻と豊後高田昭和の「昭和ロマン蔵」に行きました。多くの懐かしい展示があって楽しみました。特に見た瞬間だったのがこれです。甲飛15期の祖父に買ってもらったのが始まりで、駄菓子屋などに行った際はいつも探していました。当然「零戦!」でしたが完売(涙)なので「おそろしく早いカツオ節みたいなヤツ」にしました。 city.bungotakada.oita.jp/sit…
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自◯の方は憚られるのか大学等の「戦争云々」展でも抹消されている印象。史料等で黒塗りになって当然というのも分かる。ただ、調べれば分かることを避ける風潮では史実から離れた「結論ありき」展になるのでは?自◯された方々の軍歴やその最期を見れば「悲惨さ訴えたい」という点において勝るものはないと思うが。
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海軍予備学生でいじめられて自殺してしまった東京大学の人がいたが東京大学の戦没者は(戦死のほか、戦病死、戦傷死、戦災死、法務死を含む)となっていたので自殺者は戦没者にはならなさそう 軍医で公務による罹病で亡くなっても戦没では無いので違うのか
【東大150年史編纂室、東大関係者戦没者名簿公開 内容拡充のため情報提供呼びかけ】 東大150年史編纂室は、東京大学関係者で戦災で亡くなった人々の氏名、所属等の一覧をオンライン上で公開しました。内容拡充のため、編纂室は情報提供を呼び掛けています。 ▼記事はこちら todaishimbun.org/senbotsusha…
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徳山に戻ります、色々とありがとうございました!
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この時間に乗るのは久しぶりです、行ってきます!
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初任下士官特別教育終了の某海軍三等兵曹、昭和16年11月10日「大和」に着任する。 開戦前から大和勤務、大戦中に他艦への辞令はなく大和で全てを過ごしている。悪化していく戦況をどう思っていたのだろうか。 しかし『軍艦大和乗組トシテ太平洋方面ニ在ツテ連日繁劇ナ勤務ニ従事シ身体極度ニ困憊シテイタ』とあるように『不馴化全身衰弱症(※栄養失調)兼脚気』になってしまう。出撃せずとも大和勤務が過酷だったことを思わせる。 当人も沖縄特攻を存じていたのだろうか、発病しても艦内に留まっていた。開戦前から大和勤務だった身として自分も最期までと思っていたのだろう。しかし昭和20年4月4日『山口県徳山沖ニ於テ』『艦内ニ於テ〇亡ス』。 これは沖縄特攻出撃の二日前だった。4月6日午前2時の少尉候補生や傷病兵らの退艦からも、当人の遺体は出撃前に戦艦大和から離れたと思われる。 当人の〇去から三日後、大和は坊ノ岬沖で爆沈する。「戦艦大和」はその著名で現在まで伝わる。しかしこの方のように大和勤務の一人一人の軍歴が伝わることは稀である。開戦前から沖縄特攻寸前まで大和を支えた一人であってもだ。艦は人が動かす、一人一人の軍歴はその艦そのものでもある。 惜しい哉後世、艦を云て人を不云、是人が不肖歟。 艦と人は真田信繁と毛利勝永の関係性ではない。ただ、大和をはじめとした現状がいつか変わると願うばかりだ。
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大竹海兵団から昭和20年1月25日付で「大和」。そのまま坊ノ岬沖海戦で戦◯された海軍上等機関兵の方(没後階級,享年18歳)。着任僅か2ヶ月半かつ乗艦は大和のみ。「兵」に絞れば大和着任1〜2月で最期を、という方は他にもいると思う。海兵七十四期らの下艦は知られている。だからこそ着任僅かで最期を迎えた「兵」の方々も知られるべきと思う。心抉られたのはご家族の男子はこの方のみということ。「大和」はその名前やイメージばかり先行する。遺されたご家族の戦後を忘れないでいたい。
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