お金の困窮や締め切りに追い込まれると、別人のように動ける。なのに、危機が去ると、また平均に戻ってしまう。「やればできる」のスイッチがピンチにしか入らない会社員のあなたへ。内向と多動、両方のASD・ADHD傾向に気づいた私が、年100冊の読書と実体験から、性格のせいにしていた「持て余した力」の生かし方を書いています。
LINEの通知が鳴るだけで、胸がざわつく夜があります。 相手が嫌いなわけではありません。 むしろ嫌いではないからこそ、厄介だと感じます。 きちんと返したい。 感じよくありたい。 期待に応えたい。
金曜の夜、全能感に満ちていたはずなのに。 「今週こそ、土日で巻き返すぞ」 そう心に決めたはずなのに、気づけば日曜の夜。 手元に残るのは、スマホの画面に刻まれた親指の痕と、動画の再生履歴ばかりです。
それは才能不足ではなく、もしかしたら心の中の「発信許可設定」が、少しバグを起こしているのかもしれません。 画面の向こうで、あなたは立ち尽くしていませんか?
「本当にやりたいこと」が見つかるまで、動けない この言葉を聞くと、とても誠実な態度に映ります。 どうせ時間を使うなら、心から納得できることに費やしたい。 自分に嘘をつきたくない。
自分の思考や発信は、一過性の「つぶやき」で終わらせていませんか?
それは、自分の土壌が違うだけかもしれません。 きちんと読んだ。 きちんとメモした。 きちんとやった。 それでも、なぜか自分の現実は、一ミリも動かない。 そんな経験は、ありませんか。
「努力は裏切らない」 そう言われるたび、私の心には、ずっと小さな違和感がまとわりついていました。 もちろん、何かを続けることには、確かな力があるのだと思います。
私は、内向的で多動な特性を持つ会社員として、日々の生活で感じる「なぜ?」を静かに見つめています。 最近、ふと気づいたことがあります。
仕事が終わった瞬間に電源を切りたいのに、頭の中のプロセスだけが暴走し続ける。 帰りの電車に乗った途端、「あの言い回しは相手にどう受け取られたか」 「文脈を読み違えて変な空気になっていなかったか」
月曜の朝、満員電車に押し込まれて息が浅くなるたびに、「もう無理だ、辞めたい」という声が、心の奥から聞こえてくる気がします。 でも、次の瞬間には、いつも同じ問いが頭をよぎるのです。
「こんにちは。今日は〇〇について書きます」 そんな書き出しを目にした瞬間、指が自然と画面をスクロールしようとする。 それは、あなたがせっかちだからだと思っていませんか。 私も以前はそう考えていました。
責任感と重圧の、静かなる構造 「真面目な人ほど、極限の状況で心折れやすい」 これは、どこか残酷な響きを持つ言葉かもしれません。